アイドルと歌唱力。この問題に頭を抱えるアイドルファンは少なくないはずだ。アイドルに全く興味のないところからPerfumeを知り、その他のアイドルにも手を出していくという王道を通ってきた筆者も、かつてはこの問題と無縁ではいられなかった。
テクノという音楽の性質上、口パクしていることくらいわかっている。しかし、どうしても後ろめたさを感じる。あ~ちゃんの歌唱力には定評があることくらいわかっている。とはいえ、それは結局「アイドルとしては」歌唱力が高いに過ぎないのではないか。ましてや他の二人のメンバーとなれば…。
少し前には「アイドル戦国時代」などという言葉が盛んに使われたが、依然として大小さまざまなアイドルグループが乱立している。こうしたアイドルたちの「実力」はピンからキリまで様々だ。アイドルと歌唱力の問題悩む人の数は、さらに増えていたとしてもおかしくはない。
こうした状況を、「アイドルの質が低下している」とか「軽い気持ちで地下アイドルやっている(実際そういう人もいるのかもしれないが)」などとあーだこーだ嘆くのはたやすいことだ。また、「未熟だからこそ応援する甲斐がある」などとどっかで聞いたことのあるような話を繰り返すのもまたたやすい。しかし、こうした言説からは距離を置いて、現在の状況をもっと積極的に捉えることができる他の視点を提出することを試みたい。
あるアイドルを高く評価するとき、どのような言葉を並べるだろうか。このグループのメンバーは、容姿も良くて、ダンスも上手くて、歌唱力も高い…等々。結構なことだ。しかしそうだとしても、それの何がおもしろいのか。
どういうことか。このことを絵画を例にして考えてみよう。かつての絵画は具象画であった。できるだけ見たままに忠実に描くこと、これが求められていた。しかし、印象派あたりからこうした事情は変わり始めたと言われる。それもそのはずで、19世紀の前半には写真が発明された。こうなれば、いくら精密に見えているものを写し取ろうとしても写真には敵わない。こうして、さらに後には抽象絵画が生まれてきた。さらに、芸術全体に話を広げれば、そもそも芸術はモノである必要すらなくなったり、そこまでいかなくてもモノが既製品であったりするというようなところまで行きついた。おおざっぱに言えば、こうした芸術は「現代アート」と呼ばれる。
アイドルの話と比べてみれば、「実力」があるアイドルには具象画を、写真にはボーカロイドを、対応させることができる。機械でどんな音でも出せるにもかかわらずアイドルの「実力」(今回はとりわけ歌唱力)をことさら強調することは、写真があるのに具象画の精密さを称賛し、(これが大事なのだが)それが唯一の価値であるかのように見なしているということだ。当然具象画が写真のように現実を正確に写し取るにはかなりの技術が要求されるし、それはそれで当然すごいことだ。しかしそれなら別に写真でもいいともいえるし、そもそもそうした正確さだけが評価の基準ではないはずだ。
では、何でアイドルを評価するのか。それは先ほど述べた「おもしろさ」である。そしてこれは、芸術の「現代アート」の段階に対応する。
アイドルが「現代アート」の段階に入っているとでもいうのかと疑問を抱く人もいるかもしれないが、以前このブログでBiSというアイドルグループを考察したとき、BiSをマルセル・デュシャンの「泉」と同じようなものとして考えた(詳しくは、「【第2回】現在のアイドルの定義について①」を参照)。つまり、デュシャン以降アートの定義が「アートとはアートである」となったように、BiS以降アイドルの定義は「アイドルとはアイドルである」となったのだ。
こんな定義は無意味だと思われるかもしれないが、そうではない。むしろその逆だ。この定義は、アイドルとさえ名乗っていれば、後はだいたいどんなことでもできるということを示しているからだ。そして、この定義を踏まえることでようやく「おもしろさ」について語ることができる。アイドルの定義から生じる自由度を生かして、これまで考えられなかったようなことを受け手に考えさせたり、そもそも「アイドルとは何か」ということを、アイドルでありながら問うなどということが可能になる。こうしたことをひっくるめて「おもしろさ」と呼びたい。当然これだけではあいまいで分かりにくいとは思うが、具体的な事例については今後も取り上げたいし、以前の記事でも時折言及しているので今はこれでとどめておく。
さて、タイトルからかなり逸脱して議論を進めることになってしまったが、最後にアイドルと歌唱力についてまとめておこう。
アイドルに興味を持ち始めたばかりの人の多くは、自分が気になっているアイドルの歌唱力不足に頭を悩ませるかもしれない。しかし、こうは考えられないか。これまでの議論によれば、アイドルの評価の基準としては、「おもしろさ」のほうがはるかに重要なのかもしれない、ということであった。だとすれば、歌唱力不足に何ら頭を悩ませる必要などない。歌声なんて所詮音で、その上手い下手なんて音の誤差に過ぎないじゃないか。いや、もっと積極的にこう言えるだろう。歌唱力なんてあんまり重要じゃないアイドルとは、なんと自由なジャンルなのだろう、と。
実際に、アイドルの「実力」が物差しになっていない、あるいは重要な物差しになっていないように思われるアイドルは、数多く存在している。そうしたアイドルが増えればそれはいいことだと思うし、少なくとも「実力」だけがアイドルを評価する基準ではないという認識が、アイドルの受け手に広く浸透することを願ってやまない。この論考は、それに向けた一つの試みであった(当然、未だに「実力」ばかりを強調する人が多くいるからこうした試みをせざるを得ないのだ)。