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須藤凜々花の結婚宣言からアイドルの恋愛禁止とガチ恋を考える

 少し前に、NMB48須藤凜々花さんによるAKB48選抜総選挙のスピーチにおいて、「結婚宣言」がなされたことがかなり話題となりました。これに対しては様々な意見が出ていましたが、普段はアイドルに興味もないが何か話題になっているということで批判めいたことを言っていた、ことあるごとに話題のテーマをダシにして自分の陳腐な意見を開陳する一群の人々は、すでに他の話題に関心が移って、この結婚宣言のことには興味を失い始めているころでしょう。ここらで少し自分の意見を残しておきます。

    とはいえ、今触れたような非難を、その動機が不純であるという理由だけで斥けてしまうのはさすがにまずいでしょう。まずは、こうした非難から検討することにします。その非難とはつまり、今回の宣言は「詐欺」であるとか、ファンに対する「裏切り」であるとかいったものです。しかし、このことは世間で思われているほど自明なのでしょうか。そもそも、こうした批判が自明であるように思われるためには、どんなことが前提されているのでしょうか。

 当然のことですが、たいていの人は周囲の人に結婚することを宣言しても、裏切りであるなどと非難されることは、まずないと言っていいように思えます。では、なぜ須藤さんは非難されたのか。それは、恋愛禁止というルールがあったからです。しかし、アイドルにおいて定められた独自のルールが破られただけというだけで、裏切りなどという強い非難が浴びせられることがあるでしょうか。例えば、Perfumeには髪を染めないというルールがありますが、もしある日、例えばのっちだけがこのルールを破ったからといって、のっちを裏切り者呼ばわりすることがあるでしょうか。ありえません。

 とはいえ、Perfumeのルール(正確には「Perfumeの掟」ですが)とは違って、恋愛禁止は総選挙の為にCDを買わせるというようにかなり直接的にお金が関わってきているのだから、同列に論じてよい話ではないという反論があるかもしれません(そういえばマツコ・デラックスがキャバ嬢を例にして批判していました)。しかし、ここにも暗黙の前提があって、それは恋愛禁止のルールが守られている=アイドルに彼氏がいないことが、CDを買う=総選挙に投票する意欲を高めるというものです。これは逆に言えば、恋愛禁止のルールが守られていない=アイドルに彼氏がいるということは、CDを買う=総選挙に投票する意欲を失わせているということです。このことは結局、ここで取り上げているような批判において想定されているアイドルオタクは、やっぱりどこかでアイドルに彼氏がいなくて、自分とアイドルが結ばれる可能性をどうしても担保しておきたがっている、ということを意味しています*1

 しかし奇妙です。アイドルに興味がないのにアイドルオタクの側に立ったような非難を浴びせていた人々は、恋愛禁止というルールを破ったことを問題視していたにもかかわらず、その非難において前提にされているオタクは、アイドルと結ばれたいと願っているオタク、つまり、恋愛禁止というルールを破ろうとしているオタクなのです。恋愛禁止というルールを破ろうとするオタクだけに勝手に感情移入して、アイドルが恋愛禁止というルールを破ったことに対して非難を浴びせる。このような議論にはやはり取り合う必要がありません。

 とはいえ繰り返しますが、自分とアイドルとが結ばれることを願うオタク、いわゆるガチ恋オタクは、実際に一定数存在します。ここまでのアイドルオタクではない人々による非難に対する批判は、こうしたガチ恋の人々にも当てはまってしまう可能性があります。それは非常に酷なことだとは思います。しかしだからといって、現在のアイドルのシステムに対する批判的な視点を失うことは避けなければなりません。以下、恋愛禁止とガチ恋との関係について手短に述べます。

 そもそもなぜわざわざガチ恋という呼び方が存在するのでしょうか。そもそも恋というものは、基本的にはガチであるはずのものではなかったのでしょうか。この呼び方には、前提として恋愛禁止があると思います。恋愛禁止というルールがある以上、アイドルに対する恋愛感情はガチになってはならない。しかしそれでもなお、ガチになる人は一定数存在します。オタクがガチになってはならないルールの下で、それでもなお、恋をしてしまうからこそ、わざわざその恋はガチであると言われる必要が出てくるわけです。だから、恋愛禁止とガチ恋とは一体です。より正確には、恋愛禁止があるからこそ、ガチ恋などという概念が成り立ちうるのです。

 こうした恋愛禁止というルールから成るシステムは、どのような機能を果たしているでしょうか。まず恋愛禁止によって、アイドルに彼氏がいないことが、基本的には保証されることになって、オタクはガチ恋へと駆り立てられやすくなります。しかし、先ほども指摘したように、ガチ恋オタクは、そもそもガチ恋という立場が恋愛禁止を前提にしているにもかかわらず、それでもなおその禁止を破ろうとします。なぜでしょうか。恐らくこれは不可能が禁止に置き換えられることによって生じています。そもそもアイドルになるのは、いわゆる恋愛偏差値が高く、アイドルでなければ恋人にはあまり苦労しないような人たちです。そうした人たちと、不特定多数のオタクの中の一人に過ぎないガチ恋オタクが結ばれることは、はっきり言って不可能です。しかし、恋愛禁止というルールがあれば、その不可能性が禁止に置き換えられます。不可能なものはもうどうしようもないと諦めざるをえないですが、禁止されたものであればそれを破るという可能性があります。そしてその可能性を追い求めることに熱中すればするほど、本来存在していたはずの不可能性からは目が逸らされていくことになる、というわけです。

 では、恋愛禁止を解除すればどうなるでしょうか。禁止がなくなるのだから、オタクの恋をわざわざガチだと言う必要はなくなります。と同時に、禁止によって目を逸らすことができていた不可能性に直面することにもなります。禁止に基づくガチ恋から不可能な恋へ。この恋にそれでもなおこだわるなら、そこには様々な苦しみが伴うことになるでしょう。しかし、どんな恋にも苦しみはつきものでしょう。また、その恋が不可能であると言っても、そうした不可能な恋はいくらでもあるでしょう。ここにおいてもはや、アイドルに対する恋は、「普通の」恋と本質的な違いのないものでしかありません。 

 以上のような、恋愛禁止というルールを禁止するという私の提案は、現状において容易に受け入れられうるものではありません。ただ、今回の須藤さんによる結婚宣言は、本人の真意はどうであれ、現在のアイドルのシステムに対する根本的な批判として解釈することが可能です。今回の一連の騒動をただのつまらないゴシップネタに終わらせないために、多少強引であることは覚悟のうえで、以上のような解釈を行った次第です。

*1:実際こういうオタクもかなりいるでしょう。とはいえ、そうではないオタクも存在するのであり、そうした人々にとっては、ルールを破ったことそのものに対する怒りはあっても、それ以上の怒りは起きないはずです。


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