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「Especiaは概念である」という命題について

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 周知のように、「Especiaとは概念である」という命題が存在する。Especiaが解散した今、この命題はさらにその重みを増してきていると言うことができよう。しかしながら、この命題には変更が加えられなければならない。というのも、概念とはただ存在すると言明することによって容易に存在しうるものではないからだ。

    では、概念とは何か。哲学者ジル・ドゥルーズによれば、概念とは創造されるものに他ならない。カオスに潜り込み、その無限速度を損なわないままそれに一貫性を与えること。このようにして概念は創造されなければならない。とはいえ、ここで哲学談義を繰り広げるつもりはない。誤用や歪曲を恐れずに自由に進めていこう。

 ところでEspeciaはまさにカオスそのものではなかっただろうか。現場の雑然とした雰囲気、楽曲とメンバーの親しみやすさとの乖離(いい意味での)、運営の人を食ったような態度、どれもやわな言葉でわかったようなことを言ってしまうのを拒むようなところがあった。だからEspeciaは解散してしまったがたぶん私たちはEspeciaが何だったのかを完全には理解していない。それどころか、今後も全てが理解されることはありえないだろう。こうして、私たちの概念創造は続く。

 しかし、概念の創造に際して無限速度が損なわれてはならない。これはEspeciaをお仕着せの言葉で安易に表現することを避けなければならない、ということであると理解しておこう。もちろん結果的に他人と同じ考えに至ることもあるだろう。それは構わない。重要なのは、安易な手段に頼らずにEspeciaと向き合うということだろう。

 Especiaが概念なのであれば、そして概念は創造されるべきものであるならば、以上のことからすでに明白であるのだが、ペシスト・ペシスタたちの活動はこれからも続いていかなければならない。というのも、これはとても重要なことなのだが、概念は一度創造されたらそれを後生大事に守り続けるようなものであってはならないからだ。それは、絶えず創造され続けなければならない。そのきっかけは恐らく日常の至る所にある。何もヤシの木だけがきっかけではないはずだ。それは、EspeciaのCDを聴いたとき、元メンバーたちのツイートを読んだとき、あるいは些細なことで気落ちして何か慰めが欲しくなったときであるかもしれない。

    さて、Especiaという概念を創造し続けろと何か偉そうに語ってきたこの文章であるが、出鱈目に濫用しているとはいえ哲学者の名前を持ち出してきている以上は、自分の言葉でEspeciaについて語ってきたとは到底言えまい。少なくとも私による概念創造は始まったばかりだ。しかし繰り返すが、この創造にむけた道のりはどこまでも続いていくだろう。そしてまた、このことは、Especiaというグループが持つ力を証示し続けることにもなるはずだ。

    以上から、次のように結論づけねばならない。もしあなたが「Especiaは概念である」という命題を受け入れるならば、Especiaとの付き合いはこれからも続く、いやそれどころかそれは、まだまだ始まったばかりである、と。

    


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